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【誰も知らない【運と才能の秘密】⑥】~「天才型」の才能。あなたも『ギフテッド』かもしれない!?~

みなさん、こんにちは!

 

今日も、引き続き、【誰も知らない【運と才能の秘密】】シリーズ第6弾です。

 

今回は、私が「運に関わる3つの才能」としてお話している才能のうちの1番目にあたる、

 

①『天才型』の才能と呼ばれる『コアの部分にかかわる才能

 

これに密接に関係する

 

『ギフテッド』

 

について、サブテーマとして少しだけお話させていただこうと思います。


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【シリーズ記事】

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なぜここ数回にわたって、結構長く『才能』についてお話してるのかというと、

 

『才能』とうのは、程度や分野の違いはあれ、実は、「私達誰もが持っている可能性の高い」特別でユニークな能力であり、生まれてきたからには、その『才能』を見つけて正しく生かすことで、私達の人生が今よりも更に豊かなものになる場合が多いからです。

 

ついでに言うと、『才能』とは、私達が生まれてきた『使命(ミッション)』に関わることなので、私達がその「使命(ミッション)」を首尾よく見つけられた場合、その後の「幸福度」が見違えます。自分を十分に生かせているという健全な「自己有能感」を得ることができ、なおかつ、周囲の人達や社会の役に立てているという「貢献度」を感じることができるからですね。

 

少しでも自分の「やりがい」や「生きがい」を見つけた人は、その後非常に「強い」です。だから、本来ならば、私達は何としてでも「自分の才能」を見つけて、一刻も早くその「才能」を育てて生かす段階に入った方がいいのです。

 

「自分の才能」を見つけるのが20代・30代と比較的早い時期であった人は、その後の人生の時間のかなりの部分を「才能を育てて生かす」という実践段階として使えるので、とても幸運です。

 

しかし、たとえそれが40代・50代以降であっても、それはそれで貴重な素晴らしい「人生」です。私は、『大器晩成型』の才能開花のパターンや成功パターンも『運の研究』と同時進行で調べているので、人生のどの段階で本人の才能が開花したとしても、結果的に人は「幸福」になれるのを知っています。

 

単に、私達個別に与えられている『使命(ミッション)』の分野が違うのと同じように、それが開花したり世に出るタイミングが異なっているだけです。そういう風に、私達の『才能=使命(ミッション)』というのは、千差万別に(かつ個人ごとに)『プログラミング』されているということです。

 

だから、これから自分の『才能』を見つけていこうとしている人は、他の誰かと比較する必要など全くありません。

 

ただただ、自分の意識やエネルギーを『自分自身に集中する』ことだけに向けることが大切です。

 

 

さて、過去記事でも、一般の私達が自分の『才能』を見つけようとする時には、ずっとお話していきてる「3つの才能」のうちの2番目である

 

②天才型とは別の『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』

 

にフォーカスして才能を探すべき、

 

とお伝えしてきています。

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1番目の①『天才型』の才能と呼ばれる『コアの部分にかかわる才能とは、オリンピック選手のようなアスリート、ノーベル賞を受賞するような学問的才能、天才ピアニストのような芸術的才能などの、一般の私達のレベルとは次元が違う才能のことですね。「天才型」の才能をいかんなく発揮している代表格が、例えば、フィギアスケートの羽生結弦選手などでしょう。

 

でも「才能」というのは、そのレベルや分野や貢献度は実に様々で多岐にわたっており、こういった「天才型」の才能のほうが、むしろはるかに範囲は狭く、また実際の社会への貢献度という点では、一般の私達にその強みがある、2番目の「秀才型の才能」の方が上なんですね。

 

(*繰り返しになってしまうと恐縮ですが、初めて記事を読む読者の方のためにも、再度説明します。

 

「秀才型の才能」とは、各分野での具体的なピンポイントでの才能(天才型の才能)とはまた違い、そのコアの部分以外の全て-例えば、

 

★俳優・女優さんのような人の意識や注目を集めるような魅力・カリスマ性そのもの、

★IQやEQの高さそのもの、

★博学さそのもの(ずば抜けた知識の豊富さ)、

★IQ以外の知能全体の高さ(様々な分野をまんべんなく網羅しているような知恵を持っている)、

★新しものを無限に生み出す創造性・クリエイティビティ、

★リーダーシップ、

★人の心を掴む人柄、

★何かにハマれる集中力、

★強い知的好奇心、

★手先の器用さや技術的な能力、

★人に何かを教える技術、

★多様性を受け入れることのできる人間的器(うつわ)、

★世界中に何年も冒険旅行に出かけてしまうような行動力、

★仕事や勉強などの生活全般における並外れた実行力

 

など-具体的にピンポイントで突出した才能以外の全ての部分になります。

 

つまり、実際に学校や職場やビジネスの場で役に立つ、実践的な才能ですね。だから一般の私達にとってはより親しみがある分野の才能です。

 

この『秀才型』の才能と呼ばれる『コアの部分以外の全てを網羅する才能』こそ、一般の私達が実生活に生かせそうな、現実世界に強い実践的な能力の性質を持っているのですが、この2番目の「秀才型の才能」に属している才能の種類は本当に多岐にわたっており、1番目の「天才型の才能」よりもはるかに多いのが特徴です。)

 

この2番目の「秀才型」の才能の見つけ方や磨き方は、もちろん次回以降の「運と才能シリーズ」で、まさに一般の私達が自分の人生で『実践』していくために、詳しくお話していきますが、今日の、サブテーマとしての本題である

 

『ギフテッド』

 

は、1番目の「天才型」の才能に分類されます。

 

 

世の中には『ギフテッド(Gifted)』と呼ばれる人たちがいるのを、読者のみなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

『ギフテッド』の概念は心理学でも脳科学でも、かなり以前から存在してはましたが、実際には、ここ最近になって特に目立って聞くようになった言葉だと思います。

 

『ギフテッド』とは、『特別な才能を天から与えられた人』という意味ですね。ギフテッドと呼ばれる人の中には、世間離れした類まれな才能を持っているケースが非常に多いです。

 

『ギフテッド』という用語自体は、心理学用語でも医学用語でもありません。いわゆる「まるで、神様から特別な才能を与えられたかのような存在』という意味を強調する目的で、通常の頭脳や能力の「範囲」とは明らかに区別するために、あえてそのような表現を使っているものです。

 

類似語で『タレンティッド(Talented)』と言われることもあるようですが、知的能力が際立って高い人(ギフテッド)と、より芸術的才能に優れている人(タレンティッド)を区別するために、あえてそのように分けて使う専門家などもいるようです。

 

通常、『ギフテッド』は、20歳以下の子供や青年を指して使われることが多いのですが、大人になってから改めて『ギフテッド認定』される人も結構います。

 

ギフテッドかどうかの判断というのは、今までは主に、知能指数であるIQスコアを参考にしてました。基準はIQ130以上で、人口でいったら、約2.4%の割合でギフテッドが存在していることになりますね。

 

ギフテッドは、単に知能指数やその知的好奇心が極度に高い、というだけではありません。

 

例えば、ギフテッドの子供たちの顕著な特徴として、

 

●その実年齢に対して、物の見方や捉え方が非常に成熟している、

●共感性・感受性が非常に高い、

●大人レベルの考え方をする、

●創造性が高く、独特の新しい方法を使って目の前の問題を解こうとする、

●視点が常にユニークである、

●自意識が高まる前の幼児期から既に思いやりの精神が非常に高い、

 

などの、独特の傾向を持っています。

 

 

海外では、ギフテッドの子どもたちに対する特別な教育がある】

 

ところが、同時に、ギフテッドの子供たちの場合、現実には「生きづらさ」を抱えているケースが多々あります。

 

例えば、

 

●その実年齢をはるかに超える、知的能力の高さや共感性・感受性の高さから、周囲の同年齢の子供たちに馴染めない

 

●その繊細さゆえに、完璧主義になりやすく、また独特の「こだわり」を手放せない場合がある

 

●大人顔負けの論理力や言語力を持つために、周囲の大人や学校の先生などに反発したり、生意気だと思われることがある

 

●興味の対象範囲が広すぎる・レベルが高すぎる、好奇心が強すぎる、独自のやり方にこだわる等のために、学校のカリキュラム内容や勉強の進度が簡単過ぎてやる気を失ってしまう

 

●大人の間違いなどを指摘し過ぎてしまう

 

●論理的に正しくないことは認められないという信念や態度のために、一般の子どもの中では浮いてしまい、イジメにあってしまうことがある

 

●「ギフテッド」の性質や存在への理解が社会に浸透しきっていないため、周囲の大人たちがその才能や可能性をうまくサポートすることができず、特に日本の教育現場では環境的に潰されていってしまう場合がある

 

●結果的に、不登校鬱病適応障害などになってしまうケースもある

 

という問題を抱えている「ギフテッド」の子供たちも少なくありません。

 

その点、海外では、以前から「ギフテッド教育」という概念が日本よりも浸透していて、特にアメリカ、スイス、マレーシア、シンガポール、香港などでは、国家レベルでそういったギフテッドの可能性のある子どもたちを積極的に見出して、独自の教育方法でその「才能」や「能力」を伸ばし、かつ、本人が健康で幸せでいられる環境を一緒に作り上げていく、という試みが行われてきています。

 

なぜ海外では、ギフテッド教育が早い段階で行われてきたかと言うと、

 

知的レベルの高い子ども達を国がサポートしていくことにより、将来的に、その本人も国家自体も、国際的に強い立場を得ることができる、ということがまず挙げられます。

 

更に、ギフテッドの子ども達というのは、一般の子ども達と同じ環境で一緒に学習したり成長していくことが非常に難しい傾向を有していることがあります。例えば、その共感性や感受性の高さから性格が激しかったり、独自の「こだわり」ゆえに自分勝手であると誤解されたり、対人関係で問題が出る場合があったりするため、一般の子供達とギフテッドの子供達の両方の「幸せ」を考えた時に、その性質の違いに合わせて、教育環境や方法を分けた方が、双方の利益になる、という考えが教育現場に浸透していったからです。

 

 

【『ギフテッド』にも3種類ある】

 

ギフテッドの性質に合った環境や教育で成長期を過ごすことができた幸運なパターンは、もちろん沢山あります。そういったギフテッド達が、世界的な学者や研究者、ピアニストやバイオリニストやアスリートになって(健康的に幸せに)活躍している、という例は世界中にちゃんと見られます。

 

しかし、ギフテッドには、才能に3種類のパターンがあるのと同じように、大きく分けて3つのパターンがあります。例えばもし、あなたが「ギフテッド」であったとします。遺伝環境、生育環境、教育環境などでこの3つのパターンのどれかに「傾倒」していった場合、その後の生き方や人生展開に大きな違いが生まれてきます。

 

この「ギフテッドの3つのパターン」とは、

 

①1つ目は、先ほどの「ギフテッドのしての才能が開花したパターン」

 

②2つ目が、ギフテッドの才能や知能を持ちながら、社会的に不適応を見せる「アンダーアチーバー(Under Acheiver)」

 

③3つ目が、自閉症傾向やADHD(ADD)などの発達障害傾向とギフテッドの両方を同時に持つ「Two Exceptional(2E)」

 

です。

 

「ギフテッドのしての才能が開花したパターン」は、当然、先ほどの「ギフテッドの性質に合った環境や教育で成長期を過ごすことができた幸運なパターン」ですね。その本人の「ギフテッド」としての性質や才能がスムーズに開花されていき、周囲の人達の理解を得ながら、大人になってからも「ギフテッド」として一定の活躍をすることができるパターンです。

 

②ギフテッドの才能や知能を持ちながら、社会的に不適応を見せる「アンダーアチーバー(Under Acheiver)」は、「ギフテッドの性質に合った環境や教育で成長期を過ごすことができなかったパターン」で、あくまでも「ギフテッド」としての性質や才能は損なわれることなく、本人の意思でいつでもその能力を発揮させることはできるのですが、周囲の人達の理解が得られなかったり、「ギフテッド」としての才能を抑圧するような環境で育ったために、当の本人に「ギフテッド」としての『自覚』が芽生えず、その才能を社会で生かすレベルに至っていないパターンです。

 

また、同時に、先ほどお話してきた「ギフテッド」ゆえの「苦労」から、努力することをあきらめてしまったり、自分の才能を伸ばしていこうという意識が欠落していたりするため、「才能・実力」のわりに「結果・社会的評価」が伴わない『アンダーアチーバー』となっていってしまうパターンです。

 

(*『アンダーアチーバー』とは、本人の高い知能水準から期待されるよりも、実際にははるかに低い学業成績や業績を示す人達のことです。)

 

自閉症傾向やADHD(ADD)などの発達障害傾向とギフテッドの両方を同時に持つ「Two Exceptional(2E)」は、「ギフテッド」としての高いIQや、認知・非認知ともに優れた性質を持ちながら、発達障害の傾向を同時に有しているタイプのギフテッドです。「ギフテッド」認定された人に発達障害の傾向が同時に見られる場合、多くは、高機能自閉症アスペルガー症候群)やADHD(注意欠如・多動症)、ADD(不注意優勢型ADHD)の場合が多いのですが、このタイプを『Two Exceptional(2E)(直訳すると、『2重に特別な要素を持つ』ということになります)のギフテッド』と言います。

 

特別な要素を2重に持つので、そのポテンシャルは計り知れません。通常、「発達障害」に関しては、一般にネガティブな捉え方をする人がまだまだいますが、実は発達障害」と診断される人達が高い能力や優れた才能を持つパターンは非常に多いです。実際、潜在的には素晴らしい才能や知識を持っている知的な子ども達ではあるにもかかわらず、要領よく生きることが苦手な傾向にあり、「生きづらさ」を感じている場合が多いのです。

 

「定型」と呼ばれる、発達障害の診断がつかない人(つまり「発達障害」ではない「一般」であるとされる人達)が、どちらかというとバランス感覚に優れ、学力から日常の基本的な生活習慣をまんべんなく「平均的」にこなすのに対し、発達障害」の人達は、ある特定の分野の能力に秀でていたり、好奇心が非常に強く、興味のある分野や対象に対する極めて高い集中力を発揮する傾向が高いのです。その分、学力や生活に直結する技術や能力に「凹凸」が見られるのが特徴で、「強み」と「弱み」が両極端である場合が多いです。

 

実際、近年、心理学者や発達科学分野の研究者達が、「発達障害」傾向を有する人達の非常に高いポテンシャルを、ある「才能」としてポジティブに捉える傾向が高まってきています。要は、

 

発達障害」は「脳のクセ」のようなもので、個性の一つである

 

という見方が強くなってきているのも事実です。

 

「障害」と捉えるのは、その興味や能力の「凹凸」により、生活習慣や日常生活に直結する技術や能力において、また、本人の「脳のクセ」が極端であることから、その「クセ」に合わない環境や仕事内容に遭遇した場合に、実際に本人が「生きづらさを感じる」ところから、そう捉えられているにすぎない、という見方です。

 

発達障害」と診断された人達や、いわゆる「グレーゾーン」であると思われる人達が、その苦手な部分とある程度折り合いをつけることができ、なおかつ、得意な部分を存分に伸ばして生かせた時、この場合もまた特性を生かすことで『才能』が開花していきます

 

 

【ギフテッドの『隠れた才能』を見抜く】

 

しかし現実的には、高い知能や才能を持った「ギフテッド」を、一般の私達が見抜くのは並大抵のことではありません。なぜなら、彼らにあふれるばかりの『才能』を感じ取ったり、「この子は違う」という印象を持ったとしても、①の「ギフテッドのしての才能が開花したパターン」出ない限り、②の「アンダーアチーバー(Under Acheiver)」③の「Two Exceptional(2E)」を即座に見抜くのは困難です。

 

なぜなら、先ほどもお話したように、②や③の「ギフテッド」達の成績や業績が、必ずしもクラスで一番というわけではないですし(場合によっては、優れた頭脳を持っているにもかかわらず「成績がクラスで最下位」というパターンの「ギフテッド」は沢山います!問題児扱いされている「かくれギフテッド」も沢山いるんです!!)、本当は「ギフテッド」である彼らが必要としている環境や教育方法や接し方に、必ずしも周囲の大人が気づくとはかぎらないからです。

 

更に、自分が「他の子供達と違う」ことを恐れて、「ギフテッド」としての能力や才能を「隠そう」としてしまう子供たちもいます。わざとできないふりをしたり、イジメられるのを恐れて空気のように周囲に同化してしまっている「ギフテッド」達も大勢いるのが現状です。

 

だから、実は「ギフテッドである」とは気づかれないで、大勢の中の一人、として扱われてしまっている「ギフテッド」達が、この世の中には沢山存在してるのですね。実の親でも気づかない場合が多い。ましてや学校の先生やコミュニティの大人がそのことに気づくのは、更に困難を極めます。

 

学校の先生側にとっても、通常の授業に加えて、興味や好奇心が凄まじい「ギフテッド」を満足させるような授業を常に生み出していかなければならないのは、かなりの負担です。他の子供達の気持ちや、彼らとの兼ね合いもあるからです。

 

「ギフテッド」の子供達は、のみ込みや理解も早いため、通常の授業内容や進度ではすぐに「飽きて」しまいます。彼らを飽きさせないために、常に彼らの知的好奇心を満たす「新しい刺激」を与えていくためには、単に教材や試験の数を増やすだけではなく、教師側の強い忍耐や創造力も必要となってきますが、これは容易なことではないのですね。

 

 それでも、ギフテッドの『隠れた才能』を見抜く姿勢を私達一人一人が持つことは、社会全体にとっては非常に大切なことです。なぜなら、先程もお話しているように、「ギフテッド」は1つ目の「天才型の才能」として、それでも比較的目につきやすい突出型の才能に属しているからです。

 

それは後々、一般の私達が、社会に役立つ、より実践的な2つ目の「秀才型の才能」を見つける時の、判断の助けにもなってくるからです。

 

今日はちょっとサブテーマになりましたが、

 

『才能』について考える時、「ギフテッド」という才能の分類がある、

 

ということを知っているだけでも、自分の『才能』を見つけていく上で損はないと思います。

 

もしかしたら、自分や、自分の身近な人や、自分の子供が、実は『ギフテッド』だったりすることも、十分あり得ますからね。その時に、あなたがすぐ行動できるようにしておくためにも。。。

 

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【編集後記】

 

以前、アインシュタインの伝記の中で、

 

相対性理論を提唱したアインシュタインは、自然の法則を研究すること『だけ』に興味があり過ぎて、その他の事柄には全くと言っていいほど興味を示さず、実生活ではかなりルーズで変わり者だった」

 

というような逸話を読んだことがありました。

 

アインシュタインは、興味のある事柄に対する探究心が強すぎたため、大学時代までずっと「質問魔」として、教師や教授達に煙たがられる学生だったようですね。

 

15歳にして学校を中退し、独学でなんとか受けた入試にも落ち、やっと入ることができた大学では、上のように教授達に嫌われてしまい、同級生たちの中でただ一人、研究室に残ることができなかったそうです。当時のアインシュタインは、とても「ギフテッドのしての才能が開花したパターン」と言える状況ではなかったのですね。

 

それでも、その後、公務員として「特許庁」で仕事をする機会に恵まれ、発明品などに関する特許出願の内容を精査して可否を判断する業務を行っていた時期が、彼にとっては、その後の物理学者としてのキャリアへの布石を敷いた、最高の時期だったようです。

 

アインシュタインは教授達に煙たがられていた学生時代から、数学や物理に関して他の学生に頻繁に意見を求めたり、当時の学者達の意見や協力をあおいだり、過去の数学者・物理学者達の理論や業績をしっかりと参考にしたりなど、多くの人達の知恵を借りながら、「相対性理論の確立」という偉業を成し遂げていきました。

 

そうですね。「相対性理論」は、ギフテッド・天才としてのアインシュタインが彼一人が組み立てたものなのではなく、実は、多くの人の協力があって、そのアイデアや発見が「全体として」完成していったものなのですね。

 

やはり、どの分野でも、たとえ「天才」に関しても、

 

「全ては繋がっている」

 

とうことをあらためて実感したひと時だったと記憶しています。

 

伝記はいいですね。実にいろんな人達の人生や考え方を「疑似体験」できるので!

 

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