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【誰も知らない『運と才能の秘密』③】~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ

みなさん。こんにちは!

 

今日は【誰も知らない『運と才能の秘密』】シリーズの第三弾、

 

「~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ」

 

についてのお話です。

 

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【シリーズ記事】

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今日のブログテーマを端的に行ってしまうと

 

「性格と才能の関係」

 

なのですが、

 

ここにもう一つ、

 

「多様性の中を自由に行きしてアウトプットに繋げる能力」

 

が、個人の才能を発揮させていく上で非常に重要になってくる、というお話をしてきます。

 

唐突ですが、みなさんは、自分の「性格」というものが、本当は「1つ」ではない、ということをご存じでしょうか。

 

よく、「私の性格は●●だ」とか「自分のキャラクターは●●っぽい」など、

 

「自分とはこういうものだ」

 

と、自分自身の性格や傾向を、無意識のうちに決めつけて日々を過ごしてしまっている場合があります。

 

もちろん、自分自身に関する性格や傾向は、その本人が一番よく理解しているはずだと思うことは当然ですし、家族や友人、職場の人達など、日常生活でよく関わっている身近な存在の人達のあなたに対する「印象」や「評価」を、彼らから直接聞いたりして、あなたが自分自身の性格や傾向を「こうである」と更に思い込んでいくことは、実によくあります。

 

しかし、私達の「性格」や「傾向」というのは一言で言い表せるようなものではありませんし、実際には、私達が自分で思っているほど単純なものでもありません。「性格は1つのみ」ではないのです。

 

なぜかというと、私達が自分で意識できている認知、思考、感情というのは非常に「あいまい」なもので、実際には、外からの膨大な情報や立場・環境の変化によって「常に揺らいでいる」からなのですね。

 

自分が絶対にそうだ!と信じていた考えが、ある出来事や経験から「揺らぐ」

 

今まで好んでいたやり方や通用していたやり方が、あるアドバイス「揺らぐ」

 

心から信頼していた(又はその逆に信頼できなかった)人に対する評価や印象が「揺らぐ」

 

など

 

こういった「揺らぎ」は、日常の様々な場面で起こり得ます。

 

また、「揺らぎ」が発生しても、その「揺らぎ」が自分を取り巻く結果に対してプラスに働くのか、マイナスに働くのかどうかは、周囲の状況や本人の捉え方によっても本当に大きく変わってきます。

 

実際に、意思決定や的確な判断が必要とされる場面で「揺らぎ」がプラスに働いて何らかの変更が行われた結果、事態が一気に好転した、ということも起こり得ます。その反対に、信用が必要とされるような場面で「揺らぎ」がマイナスに働いて物事を見誤った結果、事態が一気に悪化した、ということも起こり得ます。

 

みなさんの実際の仕事や人間関係の中で、こういった「揺らぎ」によるプラスの変化やマイナスの変化を経験している方は意外に多いはずです。

 

そして、この「揺らぎ」というのは、

 

プラスの現象として私達の現実に反映されれば、臨機応変さ」として、

マイナスの現象として私達の現実に反映されれば、「優柔不断さ」として、

 

そのまま個人の「長所」と「短所」として、そのどちらへにも転び得ます。

 

そしてここからがとても大切なのですが、

 

その個人にとって、「揺らぎ」が「臨機応変さ」として個人の現実にプラスに働く作用がより強い場合、

同時に、その個人にとって、マイナス作用に転じるパターンが少ない場合、

 

この傾向は、その個人にとって『才能』の一つになり得ます。

 

 

まず、私達の(認知・思考・感情をトータルで含めた)「性格」や「傾向」の中で、なぜ「揺らぐ」ことがあるのかというと、高度な思考や合理的判断をすることができる私達人間には

 

「価値観を重要視する」

 

という傾向があるからです。

 

更にその「価値観」というのは、時代背景、本人の置かれた環境、本人が関わっている人々からの影響、世間のトレンド、本人の経験則から得られた気づき等によって、実に様々に「変化」するものです。また、実に「多様」な性質を持っています。文化の数だけ「価値観」が存在する、物事の数だけ「価値観」が存在する、もっと突き詰めれば、人の数だけ独自の「価値観」も存在しているわけです。

 

だから、この変化しやすく、かつ多様性そのものの「価値観」に支えられている私達の「性格」や「傾向」は、「揺らいで当然」なのです。

 

また、「揺らぐ」からこそ、新しい考え方ややり方を受け入れたり、場合によっては自ら生み出したりすることもできるようになっていきます。要は、

 

「新たな価値観の創造」

 

ですね。

 

この「価値観を重要視する」という傾向は、ホモ・サピエンスである人間だけが持っている傾向で、当然のことながら、人間以外の哺乳類にも、生体ピラミッドや食物連鎖上にあるその他のあらゆる動物種にも見られない傾向ですね。当然、優位に活動している「脳の部分」、優勢になっている「脳の機能」が違うからにほかならないのですが、

 

「性格」「傾向」というのは、この「脳の機能」のうち、上のように「優勢になっている部分」に密接に関係しています。

 

そして、「脳の機能」のうち「優勢になっている部分」は、大きく

 

「本能優勢脳」

「感情・思考優勢脳」

 

の2つに分けられます。

 

「種の進化」は「脳の進化」でもあります。

 

無脊椎動物脊椎動物(魚類→両生類→爬虫類→鳥類→哺乳類→更にヒト類)

 

と進化していく中で、脳の大きさや機能もどんどん進化してきていますよね。

 

「脳の進化」の観点から物凄くおおざっぱに区別すると、

 

①「爬虫類」までが、「本能を司る脳」優位

②「哺乳類」が、「本能を司る脳」優位のまま「感情を司る脳」を併せ持ち

③私達「ヒト類」が、「感情を司る脳」を併せ持ちながら「思考を司る脳」優位

 

という分類ができるのです。

 

そして上でお話した

 

「本能優勢脳」

「感情・思考優勢脳」

 

をあてはめると、

 

①「爬虫類」までが、「本能を司る脳」優位→「本能優勢脳」

②「哺乳類」が、「本能を司る脳」優位のまま「感情を司る脳」を併せ持ち→(①と②の中間)

③私達「ヒト類」が、「感情を司る脳」を併せ持ちながら「思考を司る脳」優位→「感情・思考優勢脳」

 

ということになります。

 

ここまでは誰にでも簡単に理解できると思うのですが、

 

実は、ヒト類である私達「人間」の中でも、

 

「より本能優勢脳が優位な人」

「より感情・思考優勢脳が優位な人」

 

というように、段階分けすることができてしまいます。

 

よく、人の性格を判断する上で、「あの人は怒りっぽい」「機嫌が良い時と悪い時の落差が激しい」「攻撃的な印象を受ける」「白黒をはっきりつけたがる」という印象を受ける人がいる場合、こういった人は「本能優勢脳」がより優位な人である、と判断できます。

 

同様に、日常生活のあらゆる場面で、本来私達人間がより人間らしい所以である「合理的判断」や「思慮深さ」を保つことよりも、「感情的になる」ことが多い場合、こういった人も、より「本能優勢脳」が優位な感情型の性格傾向が強い人である、と判断できます。

 

確かに、私達人間は情緒豊かな「感情」を持っていますし、それは素晴らしいことなのですが、本来、人間の脳というのは明らかに「思考優勢脳」です。「思考優勢脳」こそ、人間が合理的判断や複雑な思考をできる所以でもあります。

 

そこで、先ほど出てきた、本来高度な思考や合理的判断をすることができる私達人間には、「価値観を重要視する」傾向がある、という部分なのですが、

 

先ほどからお話しているように、高度な思考や合理的判断をする私達人間は、日々膨大な知的情報を処理したり、環境の変化に曝されています。私達が自分で意識できている「認知」「思考」「感情」というのはかなりの確率で、外からの膨大な情報や立場・環境の変化によって「常に揺らいでいる」=「常に臨機応変に変化している(又は常に優柔不断さに苛まれている)」わけです。

 

しかし、冒頭でも少しお話したように、この「揺らぎ」をコンスタントに、臨機応変さ」としてプラスの現象へと反映させ続けていけば、それは

 

様々な可能性と多様性に対応できる、個人にとっての強力な強み

 

となります。

 

そして、この世の中に起こる事象というのは、常にポジティブなものではありません。現実には、問題解決能力やストレスに打ち勝つレジリエンス、場合によってはその物事自体に反応しないでダメージを回避する「スルー力」も必要となってきます。

 

その時に、合理的判断や冷静な思考で対応しなければ解決できない問題と、

「火事場の糞力」的な瞬発力や、とにかく気合で乗り切るしかないものと、

 

に分かれてきます。

 

この時に、実は、「思考優勢脳」だけではなく、「本能優勢脳」も「感情型脳」もまんべんなく働かせないと太刀打ちできない状況、というのが発生してくるのです。

 

問題解決の場面だけではありません。

それこそ、ここ数回お話している『才能』に関しても同様です。

 

想像力やアイデアを使って何かを「創造」していかなければならない場面や、

新しい「価値」を生み出していかなければならない場面に、

 

「価値観を重要視する」私達人間は、「新たな価値観の創造」に着手するわけですが、

 

この時にも、私達には全ての脳の部分をまんべんなくフルに働かせる必要がでてきます。

 

私がこのブログでよくお話している、高揚感と知的快感を伴った極度の集中状態である「フロー状態」になっている時にも、この、全ての脳の部分をまんべんなくフルに働かせているという脳の状態に、非常に近い状態となっています。

 

そして、この「全ての脳の部分をまんべんなくフルに働かせる状態」を私達が理解して、この状態に自分を持っていくためのとても分かりやすい具体例の一つが、

 

俳優さん、女優さん

 

なのですね。

 

俳優・女優さん方というのは、映画でも舞台でもテレビドラマでも、

 

「あらゆる『役』になり切る」

 

のがお仕事ですね。

 

ハリウッド映画や海外ドラマから、日本の邦画やテレビの連続ドラマまで、私達はたくさんの俳優さんや女優さんの演技を見てきていますよね。

 

実力派の俳優・女優さんから天才肌の俳優・女優さんまで、実に様々なバックグラウンドを持った方たちが多いのですが、主演・助演・脇役を問わず、私達が彼らの演技を見ていて「一流だな」と思う時、というのは、とにかく

 

「その『役』になりきっている」

 

ということです。

 

その役に、ピッタリとハマっている、とでも言いましょうか。

 

1人の俳優・女優さんが、ドラマのストーリーや演じる登場人物のキャラクターによって「全く別人格のように」あらゆる性格の役どころを演じる。それも「一流」になると、あらゆる別人格の登場人物に完璧になりきってしまう。

 

演じる役どころの登場人物の性格や能力は実に様々で、多岐にわたっています。それを完全に「具現化」するわけです。視聴者に全く違和感を持たせずに。

 

そしてそれこそが、俳優・女優さんたちが持つ『才能』なのですが、その彼らの『あらゆる役になりきるという演技の才能』というのは、そのまま

 

『演技しているあらゆる登場人物の「人格」を吸収して自分のものにする』

 

ということでもあるのですね。

 

俳優・女優さんたちが「その役になりきっている」時、彼らは、なり切っている登場人物の「人格」を自分に乗り移らせながら、その登場人物に深く感情移入します。演じている登場人物の人格そのままの感じ方・考え方・思考法・能力・嗜好・希望・苦悩・喜び・悲しみ・憎しみ等、全て「実際に自分のことであるかのように錯覚する」まで、その登場人物になりきるのです。

 

つまり、俳優・女優さんというのは、

 

上でお話した「本能優勢脳」「感情優勢脳」「思考優勢脳」の全てを全部駆使して、登場人物の役どころを再現しているわけです。

 

「本能優勢脳」で、役どころの狂気や嫉妬を演じ分け、

「感情優勢脳」で、役どころの愛情や友情やユーモアや怒りを演じ分け、

「思考優勢脳」で、役どころの冷静さや合理的な行動やモラルを演じ分ける

 

のですね。

 

更にここに、「鮮明な想像力」と「イメージ力」が加わります。

 

役どころの人生そのものを詳細に鮮明に想像して、登場人物象を視聴者の前に具現化する。

 

台本に書かれていない役どころの信念や生き方にまで鮮明にイメージを膨らまして、よりリアルな登場人物象を表現する。

 

俳優・女優さんというのは、この「本能優勢脳」「感情型脳」「思考優勢脳」を意識的に行き来でき、また、その状態を自由自在に変化させることができるのですね。まさに臨機応変に「多様性」を吸収して、それを表現できる。

 

演じてきた大勢の登場人物の人生をバーチャルリアリティのように「仮体験」して、別の人格の人生経験を積める。一人の人間なのに、多くの別の人間の生き方を仮体験できる。そしてその分、自身の「多様性」は広がり続けますし、人間としての「器」も大きくなりやすい。

 

「本能優勢脳」「感情型脳」「思考優勢脳」を意識的に行き来できる、ということは同時に、先ほどお話した人間としての「揺らぎ」を自分でコントロールできる、ということでもあり、「新たな価値観の創造」のために「揺らぎ」をポジティブな作用として利用していく能力に長けている、ということでもあります。

 

まさに、ブログ冒頭でお話した

 

「多様性の中を自由に行きしてアウトプットに繋げる能力」

 

ですね。

 

更に、私達が俳優・女優さんたちから学べるのは、この「揺らぎ」を発生させるものの正体というのが、実は、私達自身が自覚していない、まだ気づいていない、若しくは表面的には自分自身でも到底理解できない

 

人間が持つ「多重人格性」である

 

とうことです。

 

俳優・女優さんは、常に「多重人格」の状態で演技に邁進してくれているわけです。

 

そして、最初にお話したように、人間というのは本来、「1つの決まった性格・傾向」に縛られている存在ではありません。

 

私達自身の中に、既に今まで積み上げてきた様々な経験・体験・知識・知恵という「多様性」がしっかりと存在していて、その「多様性」によって「揺らぐ」存在-「多重人格性」を備えているのですね。

 

その「多重人格性」が、私達の中で実に様々な「能力」「才能」として、時に見え隠れしているわけです。

 

様々な多様性が一人の人間の中にある、ということは、ごく自然なこと。

むしろ、才能はそこから生まれます。

 

 

個人の「性格」や「傾向」のお話というのは、「潜在意識」と「顕在意識」との関係にも非常に似ていますね。

 

「顕在意識」があなたのコアであると思われる人格の部分(先ほどからお話している、私達が「性格は1つである」と思っている部分)、

 

そして「潜在意識」が、あなたの中の「多様性」を備えた「多重人格」の部分、

 

ですね。

 

そもそも、1人の人間の中に「いろいろな人格(性格)が存在する=人間はもともと『多重人格』である」というのは、私の見解からするとごく「当たり前」のことです。

 

そして「様々な多様性が一人の人間の中にある」ということは、当然、その人の中には「光の部分」と「影の部分」が同時に存在していて当然です。「陰と陽」のようなイメージですね。明るいだけの人、優しいだけの人、丁寧なだけの人、というような「くくり」をもって、「この人の性格(人格)はこうだ」とは言えないはずなのです。必ず相反する要素を、私達はみな持っている。

 

これを

 

「清濁併せ持つ」

 

という表現をされる人もいますね。

 

今日は、「才能の性格の関係」について、

 

~自分の中の『多重人格性』を利用する~俳優・女優に見る多才さ~

 

を引き合いに出してお話してきました。

 

まだまだ続きます!『運と才能』シリーズ。

 

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【編集後記】

 

「私のブログを読んで絶対に損はさせない!」

 

と、いつも思って記事を書いているのですが、

 

それよりも

 

「読んでくれた読者の方が、何等かの形で『必ず得する』ようなブログを心がけてます!」

 

のほうが、心構えとしてはいいかもしれませんね。。(笑)


だって私のモットーは『WIN-WIN』だから。

 

これからも「じっくり」生きたいと思います!

 

焦らず急げ~。

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