【運を科学する‼】フローマスタージャミ―ロの研究室 ~featured by ナタリー・ユエン~

「運」を科学的に研究しています!シンクロニシティもフローも、お金も幸運も健康も、夢の実現も、この世は全て「エネルギーの法則」で成り立っています!「全てを網羅する」がモットーの管理人と一緒に、「運」に関するあらゆる疑問を解き明かしてみませんか?

【★絶対保存版★】『IQ・EQ』と『運』の関係①~高IQ高EQはどのように「運」に影響するのか~

みなさん、こんにちは!

 

今日はちょっと前置きがあるのですが、

ここ最近、私がとても強く感じていることがあります。

 

それは、これからの時代、どんな状況にあろうとも、とにかく

 

「生き残ることが大切」

 

ということです。

 

いろんな意味で。

 

毎日非常に忙しく、仕事も勉強も子育ても家事も、やることも目白押しの人がほとんどだと思います。実際の行動が忙しくなくても、頭の中の考えや心の中の思いが非常に忙しい人達もたくさんます。

 

それはそれで充実しているのですが、自分に負荷がかかり過ぎているかもしれない時には、どうぞ、これから更に飛躍するための充電期間である

 

「斧を磨く時期」

 

だと思って、十分に休息を取ったり、楽しんだりして、自分自身のバランスをとっていってくださいね。

 

斧は磨かないと徐々に錆びていってしまいます。

 

素晴らしい杉の木を、毎日たくさん斧で切って豊かになろうとしているのに、斧を使い続けたままでは、その斧はいずれ錆びて「切れ」が悪くなってしまいます。刃が傷み切ってしまってからでは、もう今までのように効率よく杉の木を伐り続けることはできなってしまいますから。

 

あなたはこれからどんどん「運」を上げていくわけだし、とても良い意味で、もっともっと忙しくなっていくかもしれない。

 

なので、いざという時に最大限の力を発揮してチャンスを掴むために、エネルギー状態を良くしておくことが大切です!

 

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【シリーズ記事】

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さて、前回のブログ記事では、私の専門分野の「特許」を引き合いに出しながら、「運」についてお話しています。

 

「特許」となる「発見」や「発明」って、なにかワクワクする響きがないでしょうか。私は、特許に関わる仕事に何年も携わっていますが、今でもワクワクしますね。

 

そうです。だって「特許」「発見」「発明」というのは、人間が人間たる「思考力」や「発想力」そのものを駆使した

 

「アイデアの宝庫」

 

だからです。

 

科学技術や文化芸術が全くの新規の発見や発明を生み出しながらも、その既存の発見や発明に「新しいアイデアの部分」を付け足したり組み合わせたりしながら、全く別の特許に生まれ変わらせることを繰り返す。そこから無限のアイデアパターンを世に送り出し続けている。

 

そして、その進化や発展が、このブログのテーマである「運」の考え方に非常に似ている、というお話を、前回のブログでしましたね。

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関連記事

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flowmasterjamillo.hatenablog.com

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ちょっと前回のブログで書き忘れていた部分があるので、今回のブログで補足させていただいてから、今日のテーマである

 

「IQ・EQの運の関係」

 

についてお話していこうと思います。

 

特許というのは、所謂「知的財産権」なのですが、その中でも科学技術に関連する知的財産権が多いです。また「著作権」などもこの「知的財産権」に含まれます。「コピーライト」というものですね。

 

いずれにしても、この世の中で実際に非常に役に立って、私達の生活や社会全体の「発展」に寄与する、素晴らしいアイデアの数々が「知的財産権」です。

 

「アイデア」って、本当に素晴らしいと思うのですが、「ひらめき」や「想像力」と「今まで学んで蓄えてきた知識」を全て駆使して(つまり組み合わせて)、「知恵」のレベルにまでそのアイデアを高めることで、知的財産権はその力を発揮していきます。

 

「知恵」というのは「アウトプット」のレベルです。

 

「知識」というのは、この世についての現象だとか、先人たちが発見してきた物事の法則や作用というものを「インプット」するレベルです。

 

その「知識」と今までの自分の「経験」をもとに、「想像力」が自分の内側から沸き上がってきます。

 

そしてそこに、上から降りてくる「ひらめき」が加わります(なぜ「降りてくる」という言葉を使うのかというと、数個前のブログ記事でお話した「個人の潜在意識と集団潜在意識」が絡んでくるからです。これはまた別の「潜在意識」関係のブログ記事でお話していきます)。 

 

これらを総動員して互いに結びつけて、実際に現実に使えるレベルへと「新しく創造していく」のが、「知恵」(アウトプット・具現化)のレベルなのです。そしてこの「知恵」の部分が一番価値があって、なおかつ「難しい」。

 

料理に例えると、「知恵」が食材で、「経験」が調理器具、「ひらめき」がスパイスや調味料、「想像力」が料理の出来具合(見た目や食器類の選択)、そして「知恵」(アウトプット・具現化)が、実際に料理を進めていく手順(混ぜ合わせる、切る・煮る・焼く、等)とスキルで、一番複雑で腕の見せ所である部分になります。

 

なので、この「知恵」(アウトプット・具現化)の部分こそが、その人の脳力や才能を測る上での、本当の指針になるものなのです。そして先ほどの料理の例でもわかるように、この「知恵」(アウトプット・具現化)の部分が、その人の「オリジナリティー」を決める最も重要な部分となります。

 

最終的に出来上がった料理(「想像力」の賜物)というのは、一見、結果的にはそれが「アウトプットされたもの」に見えますが、実は、その料理を生み出した人の「料理プロセス」こそが本当の「知恵」(アウトプット・具現化)の部分になるのです。

 

なぜでしょうか。

 

それは、最終的に出来上がった料理には、それに付随して必ず「レシピ」が発生するからです。その「レシピ」というのは、もし公開されれば、それは誰にでも「再現可能」となります。つまり、公開されて「再現可能」となった時点で、その「オリジナリティー」というのは多くの人にシェアされることになります。

 

それでも、味付け加減であるとか、火加減の調節加減であるとか、微妙なタイミングの違いであるとか、人によって、同じレシピを再現したとしても、その出来上がった料理を食した人が感じる「美味しさ」には決定的な違いが出ることがほとんどです。「料理プロセス」が、人によって微妙に違ってくるからです。

 

それが「オリジナリティー」なんですね。

 

そしてこのことが、「知的財産権」の世界で、特許や著作権にも当てはまってくるのです。

 

例えば、特許の世界では、日常茶飯事で「特許侵害訴訟」が起こっています。要は、似たような発明を申請した出願人や企業同士が、自分の発明した特許や作品の「先行権利」や「優先権」を主張するというものですね。

 

簡単に言うと、これが似ている、あれが似ている、こっちの発見・発明が先だ、こっちが本家だ、といった感じです。

 

池井戸潤氏の「下町ロケット」のお話を知っている人であれば、すぐにピンとくることと思います(笑)。

 

実際には、その特許を「申請」して「登録」された時に、初めてその特許の「先行権利」が確定して「先行利益(先に得た者がより多くの利益を長期にわたって受け続ける実際的な権利。例えばブログやユーチューブなどで、早い時期に始めた人ほどアクセスやチャンネル登録が増える、アフィリエイトで稼ぎやすい、など)」を享受できるわけですが、

 

実際に特許侵害のやりとりなどを見ていると、本当に「鶏が先か、卵が先か」ではありませんが、実のところ、鶏が先だったのか卵が先だったのか、判断が難しい案件がたくさんあります。

 

その特許に関わる文献を何年も遡ってリサーチしてみると、実はその特許がある企業や発明家によって「登録」される随分前に、その特許の重要な部分を既に発見・発明していたと思われる研究者などの論文が、どんどんでてくるわけです。

 

つまり、その特許が世界初!であると国際的に認められるはるか以前に、他の発見者や発明者がその類似技術の道筋を大きく作っていたり、同様の発見・発明の大部分を完成させていたり、そのまま実用化しても特許化していなかったりするものが、この世の中にはいくらでもある、というわけです。

 

これをとても端的にわかりやすく説明することができるのが

 

★「ノーベル賞の候補者をどうやって決めるのか」

★「そのノーベル賞候補者の中から最終的に誰を選ぶか」

 

ということです。

 

例えば、ノーベル賞の候補者を決める時、そしてその候補者の中から最終的に誰をどうやって「受賞者として」決めるか、みなさんはご存じでしょうか。

 

これの顕著な例が、2002年度のノーベル化学賞受賞者・田中耕一氏です。

 

田中氏は、「ソフトレーザー脱離イオン化法」という、タンパク質などの生体高分子の「質量」を正確に測定する方法の発見により、海外の他の3名の化学者と共にノーベル化学賞を受賞しています。

 

このノーベル賞化学賞受賞者の決定にあたって、当時、ある議論が科学者の間で交わされていました。それは、この質量分析の方法を生み出していたのは、別の科学者(2名)であったはすだ、という議論です。

 

なぜかというと、この2名の科学者は、この新規の質量分析法を田中氏よりも早く論文発表していたという経緯があったからです。田中氏もこのことは理解しており、自分が受賞することになるとは思ってもみなかったそうです。

 

しかし、当時、物理部門と化学部門のノーベル賞受賞候補者を決定するスウェーデン王立科学アカデミーの調査で、この英語論文が発表されるかなり以前に、田中氏が同様の研究を進めており、日本で学会発表を行っていた事実をちゃんとつかんでおり、この経緯から、田中氏の貢献が先であった、と認められたわけです。

 

スウェーデン王立科学アカデミーの調査は大変細部にわたっており、化学賞、物理学賞、医学・生理学賞、経済学賞など、全てにおいて、過去の世界中の研究を入念に調べて、その貢献度を実にフェアにジャッジしているのですね。

 

このことからもわかるように、多くの有用な発見・発明の類似したコンセプト、というのは、あなたがアイデアを温め続けているのと同じように、その時、世界中でも同じような類似のアイデアを具現化しようとしている人達が沢山いる、ということなのです。

 

そしてそれは、非常に価値のあることで、発明者の権利を守りながらも、その「オリジナリティー」を世界中の人があらゆる場面で「再現」できるように、公開していくわけです。

 

ちなみに、田中氏はノーベル賞受賞後も、新たに「血液一滴で病気を早期発見する技術」を開発しています。

 

この「血液一滴で病気を早期発見する技術」は、海外でも多くの研究者・科学者たちが、切磋琢磨しながらこの技術の実用化を目指しています。一部では既に実用化されている特許もあります。それぞれ「微妙に違ったオリジナリティー」を持ちながら、類似のアイデアを様々な形で世に送り出しています。その目的はただ一つ。「貢献」ですね。

 

世の中全体の進化発展に貢献する。

人々のより良い暮らしに貢献する。

その国の経済や知力を高めて、自国の国際的なアドバンテージに貢献する。

 

もちろん、技術開発には常に「利益を追求する」という面も求められています。新しい技術開発をどんどん世に送り出しながら、極限にまで自社の利益を高めていくことによって、更に新たな技術開発研究に投資することもできます。働いてくれている自社の研究者、技術者、社員などの雇用者たちにも、報酬として利益を還元していくことが可能になっていきます。

 

しかし、技術開発で最もインパクトのある目的というのは、やはり「貢献」なんですね。

 

(同時に、このブログでもよくお話していますが、田中氏は「化学」の専門家でありながら、このように「生化学」「生物学」「医療」の分野にまで、その化学の知識を応用して進出していますね。「全ての分野は繋がっている」ということを、更に裏付けてくれています。)

 

そして大切な考え方があるのですが、「貢献する」という姿勢は、「運のよさ」に関しても、「成功」に関しても、そして「幸せ」に関しても、確実に関わってきます。

 

科学者であっても政治家であってもクリエイターであっても、もちろん一般の私達にとっても、「自分の出したアイデアは自分のものである」という意識が強まるのはあたりまえのことですし、その権利を主張するのも当然のことなのですが、その「アイデア」を世の中に役立てるためには、確かに「自分のもの」ではあるのですが、その「自分のもの」という意識を一度脇に置いて、

 

「世の中全体の財産」

 

として観る視点を持ってみると、大局がどんどん変わってきます。

 

つまり「世の中に役立たせるために、私達全体の発展と進化のために、たまたま自分が「率先して」この宝物(アイデア)を世に送り出す代表を買って出ている」

 

というスタンスです。

 

これが「貢献」です。

 

「WINーWIN」です。

 

そういう謙虚さがあると、そのアイデアは確実にあなたから発せられていつつ、ちゃんとあなた自身を中心に、しっかりとあなたのものであるという権利が損なわれることなく誰かの助けになっていきます。

 

もしかしたら、そのあなたのオリジナルのアイデアに、別の誰かのアイデアが加わって、元のアイデアをはるかに上回る新たな新規のアイデアとして、どんどんグレードアップしていくかもしれません。 

 

このことに関しては、「運が奪われる」「エネルギーが奪われる」ということであると勘違いしてはいけません。

 

「運が奪われる」「エネルギーが奪われる」とは、誰かの「欲」のために、あなたの許可なく無理やりあなたの運やエネルギーが奪われることであり、これは絶対に防がなければならないことです(だからこのブログでも、よくこのことに関してお話しています)。

 

でも、「アイデア」が同じようにエネルギーであるならば、これは「自然の法則」にのとって「循環」させていかなければなりません。

 

ブログでよくお話していることですね。

 

エネルギーは「循環」させて、

 

螺旋状に上へ上げていきながら、より大きくより強くしていく

 

ことが大切であると。

 

「WINーWINにしていく」

 

これですね。

 

先ほどの特許のお話に戻れば、「特許侵害」というのは、実際にはあります。ただ悪質な特許侵害と「アイデアの切磋琢磨」は全く別物です。

 

運やエネルギーを容易に奪わせることは勿論絶対にだめですが、自己表現に関しては「奪われた」「侵害された」と捉えすぎるのではなく、でも何かに遠慮する必要なく、ましてや諦める必要もなく、自分のアイデアを十分あたためて、思う存分自己表現していくことが運の向上にもつながります。

 

それでいて、あなたはあくまでもそのアイデアの生みの親であって、更にそのアイデアを「社会の子」として世の中に送り出す。

 

あなたの子供(アイデア・自己表現)は「社会全体の宝物である」というスタンスでいると、本当に上手くいきますよ。

 

 

ああ!本当に長くなってしまってごめんなさい!(笑)

 

それはようやく本題です。

 

「IQ・EQと『運』の関係」

 

です!

「IQ」「EQ」という言葉は、もう説明するまでもなく、みなさんよくご存じですよね。

 

「IQ」は、論理性やパターン認識能力といった「認知能力」を数値化したもの。

 

「EQ」は、共感性や忍耐力、思いやりや感情のコントロールといった「非認知能力」のレベルを示す概念。

 

そして実はもう一つ「PQ」というのが近年謳われているのですが、これは、変化に対する耐性、臨機応変性、問題解決能力、発想力、創造性、といった、EQよりももう少し範囲の広い高度な非認知能力のレベルを示す概念です。

 

よくEQは人格形成や自己鍛錬と共に上がっていくことがあるが、IQの値は基本的に先天的なもので生涯を通して変わらない、というのが通説・定説となって久しいですね。

 

ただ、私はIQに関しては「別の見解」を持っています。

 

つまり私は、

 

IQも変動する

 

と考えています。

 

それも「上下することがある」と考えています。

 

例えば、今あなたのIQが105であったとすると、それが108や110になったりと、IQの値を上げていくことができる

 

ということです。

 

PQはちょっと特殊なのですが、IQもEQ同様に後天的に上げていくことができる、となると、

なんか、ワクワクしてきませんか?

 

この世の中で生きていく上で、IQというのは、高度なパターン認知能力や論理力といった部分的な能力のレベルを示しているにすぎないので、あくまでも「人間の能力の一部分」にすぎません。

 

大切なのは、先ほどのEQ(感情のコントロール)やPQ(問題解決能力や臨機応変さ、アイデアの閃き具合)に加えて、IQも高めであれば、「認知能力」と「非認知能力」の両方のバランスがとりやすい、結果、その人の本当の幸せや社会への貢献度に高まる、ということなのです。

 

しかし、IQが高いにこしたことはないことも事実です。IQが高いことで得られる(利己的・利他的)利点もたくさんあるからです。

 

だから自分のIQを上げていくことができると、いろんな意味で、様々な場面で人生が劇的に変わることもあるのです。付き合う人が変わる、所属する場所が変わる、持ち物が変わる、考え方が変わる、価値観が変わる、自信もつく(それも全て、今までの自分の認知や思考よりも高いレベル・広い範囲の世界にアップグレードするという感覚です。)

 

ただこれを達成するにはいくつかの条件があります。

 

例えば、IQを上げていくには、それなりに基本となるIQ値があり、だいたい平均で100~105くらいのIQ値であると可能性が高まる。

 

日本人の平均IQ値が「100前後」と言われているようですが、まず平均値を持っていて、そこから思考の訓練、認知の訓練、EQに関わる非認知能力の分野(共感能力、想像力、忍耐力、困難に対する)を含めた訓練をしていくことで、ある程度の期間で、その時点の自分のIQ値から2~5程上げることは十分可能です。

 

(以前このブログでお話している「自己組織化」と「球体思考」をクセづけることで、数か月単位でIQを数スコア程上げることは実際可能なのです。

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例えば私の例で大変恐縮なのですが、文系女子として特許と科学技術にいきなり関わり始めた修行時代、私はこの「自己組織化」と「球体思考」を勉強に取り入れていますが、新しい科学技術分野の知識や考え方を習得していた時に、実際にこの自己組織化の方法と球体思考術でIQスコアを上げたことがあります。「元のIQ値」は秘密ですが。。笑))

 

これははっきり言って、「意欲のある人」であれば、誰でもできると私は踏んでおります。。方法さえしっかりしていれば。

 

思考力、記憶力、注意力、集中力、忍耐力、瞬間的な判断、ひらめき等が、全て明らかに向上するのが自分でわかるので、いい意味の高揚感と快感が得られるのも面白いです。このブログでよくお話している「フロー状態」にも入りやすくなりますね。

 

元のIQ値が80~90くらいである場合も、こういった思考の訓練で同様にIQを上げていくことは同じように可能ですが、むしろ、元のIQ値がこのくらいの幅の人のほうが、平均値を持っている人よりも、一時的なIQ値の上昇幅は大きくなるみたいですね。

 

これは「偏差値」の考え方と一緒です。

 

本来「偏差値」と「IQ」というのは全く別物であり、「偏差値」が学力を数値に変換して測る物差しの一つであるのに対し、「IQ」はパターン認知能力と論理力を中心とした「知能」の測定値であるため、簡単には比較できないものなのですが、

 

例えば偏差値50の人が偏差値を55に上げるよりも、偏差値30の人が偏差値50に上げる方がはるかに上げやすいということです。その上げ幅の差が「15」もあるのにもかかわらずです。

 

ただ、偏差値55以上から更に上に上げていく場合、もちろん可能なのですがその「上げ率」に対する「負荷」は上がっていきます。

 

これは当然のことで、より簡単でシンプルな理解レベルから平均レベルの理解まで上げていくことよりも、より難しい複雑な理解レベルから更に高度な理解へと自分自身を上げていくことのほうが、脳にかかる「負荷」が大きいからです。

 

レベルが上がれば上がるほど、脳や心にかかる「負荷」は大きくなるため、まずその「負荷」に耐えられるだけの「耐性」や「前向きさ」といったEQの部分を鍛えなければなりませんし、IQ値としての「脳力」を上げていくために、認知や理解のスピードといった脳機能そのものも上げていく必要があります。更に、より高度な理解や認知を得るためには「問題解決力」が何よりも重要になってきますから、先ほどのPQ値も同時に上げていく必要があります。

 

まさに、既にお話している「バランス感覚」が求められてくるのです。

 

更に、「IQを上げていくことができる」ということは、当然ですが、「今あるIQ値が下がっていくこともある」ということです。

 

つまり、今あるあなたの考え方、物事に対する向き合い方、態度、環境、同時に頻繁に接している人の質や彼らとの会話によっては「あなたのIQが下がってしまう」

 

ということもあります。

 

そしてIQが下がっている時、人間は、IQが高めだった時の判断や思考ができなくなります。

 

ついでに、よっぽどのことがあってIQが再び上がらない限り、

 

自分のIQが下がってしまっていること自体を「認知できない」

 

という悲劇も起こってきます(だってIQが下がってしまっているから・苦笑)

 

もともとIQもEQも高いのにもかかわらず、このパターンに悩まされて

 

「わけがわからなくなっている」

「混乱している」

 

状態に追いやられてしまっている人達というのが、モラハラパワハラ、いじめの被害者に大変多いのですが、これが私にはたまらなく悔しいです。

 

これは考えてみたら大変恐ろしいことで、実は、このIQが下がることによる弊害の別の例が「認知症」なんですね。

 

認知症」というのは、一般には「脳機能自体の低下」「脳そのものの劣化」「脳細胞の萎縮」が原因ではあるのですが、ここに、もう一つ「別の種類の認知症」というのが存在しています。

 

つまり、脳科学分野の「認知症」ではなく、心理学的な「認知症」です。

 

「心理学的な認知症」とはどういうことか、というと、

 

先ほどのモラハラパワハラ、いじめなどの「人格障害者たちによる(被害者への)人格攻撃」によって、心に傷を受けた被害者のEQが下がり、PQを発揮する意欲や術がなくなり、結果としてIQもろとも全体的に下がる、ということで引き起こされる心的外傷性の認知症です。


実は、こういった「心的外傷性の認知症(ごく軽い認知症レベルの脳内変化)」が、たとえ若い年代の人であっても、このIQ等の下降によって日常で引き起こされているという現実があります。鬱病を患っても、同じようにIQ(とEQ)の著しい低下がみられます。

 

そしてIQ(とEQ)が低下している状態に「自分で気づかなくなる」というのが、大変問題となるところなのですね。

 

もう一つ、IQが下がってしまう日常的な要因があります。それが

 

固執

 

です。

 

固執」とは、ある一つの考え方に「執着」する思考のクセなのですが、

 

もっと分かりやすく言うと、

 

▲「白か黒か」

▲「上か下か」

▲「勝ちか負けか」

▲「敵か味方か」

▲「良いか悪いか」

 

などのように、

 

思考が「極端」な方向に偏る考え方

視野が狭くなり過ぎている考え方

多様性を理解できない考え方

マイノリティー(少数派)を理解できない考え方

 

これらが、IQを大幅に下げる「固執」的な要因ということになります。

 

こういった「固執的思考」というのは、言い換えてみれば

 

「依存的思考」

 

でもあるんです。

 

極端な方向に偏り過ぎていたり、「●か●か」の二者選択的な考え方のほうが、実際「楽」だからです。「楽」なほうに人は流れやすいんですね。

 

「楽」だから「依存する」んです。

 

つまり、こういった「固執的な考え方」とうのは

 

「思考停止といっしょ」

 

なんですね。

 

IQは確実に下がり続けます。

 

「楽」なほうに流れやすい、ということは、その人はより「本能的なタイプである」ということでもあります。

 

以前にもこのブログでお話していますが「本能」を司っている脳の部分は、より原始的な「大脳辺縁系」や「偏桃体」の部分です。そしてより人間らしい高度な思考力や論理力、合理的判断(まさにIQを司る部分)というのは「大脳新皮質」や「前頭葉」の部分になります(感情を合理的判断でコントロールするのは「前頭葉」ですから、この部分はEQも司っていることになります)。

 

これだけで何を言わんとしているか、このブログの読者の方であれば、よくおわかりになれると思いますが、

 

そういうことです(笑)。

 

ただ、あくまで人には様々な考え方があり、なおかつどういった考え方をするかは全くもって「その本人の自由」であり、例えば「保守的でいる権利」も「偏る権利」も「思考しない権利」も、全ての人にあるわけです。

 

なので、これは、こういった「固執的な思考」をする人達を批判するものでは全くなく、単に、

 

IQ(やEQ)を高めるには、どういった思考法で日常を過ごせばいいのか、の指針としてのお話であることをご理解いただければ幸いです。

 

これに関連するのですが、心理学分野の研究では、リベラルな考え方(民主的な考え方)の人に比較的高IQの人が多い、というデータがあります。

 

なぜかというと、リベラルな考え方をする人というのは、一般的に物事の捉え方や視野が広く、「多様性」を受け入れる器の大きい性質を持っているからです。

 

「多様性」を受け入れる器が大きい、ということは、臨機応変な思考や行動をとれる、ということでもあります。「あいまいなもの」「断定できない事柄」「最後の段階にならないと結果が読めない事象」に関わる時のストレスや負荷を、うまく処理できる能力がある、ということでもあります。

 

多種多様な考え方、多文化・多言語への理解なども高く、場合によってはIQだけではなくEQも高い傾向にある人も多いです。PQに関しては、言わずもがな、というところがあります。

 

一方、共産主義的考え方の人の中にも、もちろん比較的IQの高い人もいますが、「集団」となると、その「集団的IQ」というのは低下傾向にあります。それは、共産主義の独裁的な考え方や慣習・風習に捕らわれたものの見方をする傾向が強いため、「(共産主義という)価値観に固執する」ことになり、視野が狭くなり、思考停止が日常化する場合があるからです。

 

もちろん、リベラルな考え方でも「極端にリベラル寄り」であると、人のIQは下がる、という傾向にあるようです。

 

やはり、一方向に極端に偏り過ぎると、結果的にどちらの方向であっても「固執的な思考」に陥るからですね。

 

では、IQを上げるために、

 

思考が「極端」な方向に偏らない考え方

視野が狭くなり過ぎない考え方

多様性を理解できる考え方

マイノリティー(少数派)を理解できる考え方

 

をマスターしていくには、どうすればよいのでしょうか。

 

人間の能力というは一度に(一気に)上げることは難しいのですが、「限界まで突き詰めていく姿勢」(実際に限界に行きつくかどうかは別)でいると、その分野の能力がほんのちょっと上がる。0.1ミリ上がる。脳トレみたいな感じですね。

 

その0.1ミリを少しづつ少しづつ積み重ねることによって、時間をかけて高IQへと上げていくことが可能です。それこそ先ほどお話し、過去記事でもお話している「自己組織化」と「球体思考」による訓練なのですが、

 

これは、「知識」をちょっとづつ蓄えていったり、「知恵」を働かせていったり、頭を使って脳に程よい「負荷」をかけ続けることによって、思考力、論理力、判断力、認知力(同時に相乗効果で非認知力)を全体的に上げていき、同時にこれらの能力を互いにリンクさせていくことで更に能力全体が上がっていく(IQの向上として現れてくる)、ということが起こり始めます。

 

そしてこれを「限界」まで少しづつ行っていくことで、ある時点で苦しさが一気になくなって、まるでランナーズハイのような高揚感を伴う快感となっていきます。このブログでよくお話している「フロー状態」(運の流れを作り上げていくきっかけとなる、自分自身の高揚感を伴った極度の集中状態)ですね。

 

この状態を繰り返していくことで、脳の「自己組織化」はどんどん進んでいき、更なる強烈なフロー状態に一段と入りやすくなっていくのです。

 

「フロー状態」が日常になってくると「喜び」が生まれてきます。大変幸せな精神状態がずっと続くことになります。

 

その幸福な精神状態が外の世界に反映され出して、幸運の流れができていきます。そして結果的にEQまで上がっていきます。素晴らしい連鎖が発生してきます。そしてやはりこのブログでお話している、強運に必要な「自己肯定感」と「共感能力」も連鎖的に上がっていきます。本当に「全ては繋がっている」という状態を、自分自身で体験して、それを具現化していくことが可能となっていきます。

 

流れとしては、

 

★IQは上げられる

★「フロー状態」をマスターしていける

★喜びや幸福を感じられるようになるため「自己肯定感」が上がる

★自己肯定感があがるので「共感能力」も連動して上がる

★結果的にEQも上がる

★付随してPQも上がる

★「フロー状態」が日常化するので、意味のあるい偶然の一致(シンクロニシティ)も頻発してくる

★幸運の流れにどんどん乗っていける

★そうしていずれ全ての願いを叶えていく

 

という幸福の連鎖が始まっていきます。

 

IQが上がることで、あなたが「できるようになること」「理解できるようになること」「判断できるようになること」は著しく増えます。自分自身の認知や決断にも大きな自信がついてくるようになります。

 

先ほどもお話したように、本来、IQが上がることで実はEQもPQも上がってくるものなのです。

 

(IQは高いがEQやPQが低い、と揶揄されるような高IQ、高知能の方がよくいますが、それは、そういった批判してくる人達が、IQを「脳の高度機能としての突出さ」として「機能だけで測定してしまっている面があるから」です。)

 

本来、本当にIQが高い優れた人というのは、実はEQもPQもバランスよく高いです。このバランスの良さが、自分自身の精神の安定にとても貢献しているために、高度なフロー状態を維持し続けることのできる類まれな素質として、実際の行動や得られる結果にも表面化されてくるのですね。

 

これが「IQ、EQ」と「運の良さ」との関連の、とてもおおざっぱな説明です。

 

運も後からいくらでも挙げられるように、IQもEQもPQも後から上げることができます。

というより、本来の順番としては

 

IQを上げる→EQが上がる

 

又は

 

EQが上がる→IQも上がる

 

それにPQの向上が付随する

 

ということですね。

 

そして「IQ、EQ、PQ」が上がることで高まった「フロー状態」により「運が上がる」(シンクロニシティが連発してくる)

 

ということです。

 

ところで、余談なのですが、このブログでよくお話している「運やエネルギーを奪う人」なのですが、こういう人達というのは、

 

IQ、EQ、PQの全てにおいて「値が低い」

 

と言えます。

 

もちろんエネルギーも低いし、運=エネルギーですから、当然運も弱いですよね。

全てにおいて「低い」んです(苦笑)。

 

だから「奪う」わけなんですが。

 

これは今までお話してきたことを振り返れば当たり前のことでして、

 

このブログでも、「運やエネルギーを奪う人」というのは、心理学でいうところの自己愛性人格障害者だったり、スピリチュアルでいうところのエネルギーバンパイアであったりと、お話していますが、彼らは例外なくIQもEQも低いのです。

 

なぜなら、彼らは「快か不快か」「勝ちか負け可か」「欲が深い」「上か下か」といった、先ほどお話してきた「(極端な)固執的思考」でしか物事を考えられないからです。いえ、実際には「考えてもいない」んですね。本能的に「反応」しているだけ、とでも言いましょうか。。

 

「0か100か」「黒か白か」の極端二者択一思考は決して頭のよい人の特徴ではないです。

 

なぜなら、先ほどから何度もしつこくお話いていますが、

 

☞この世の中に存在しているほとんどの現象というのは、「グレーゾーン」で「あいまい」なものだから。

 

☞この世のしくみとして「多様性」は排除できないから。

 

☞この世の中は「具体的」な物事よりも「抽象的」な物事のほうが多いから。

 

☞普通、現実社会では簡単に「白か黒か」なんてはっきり線引きできない事柄で溢れかえっているから。

 

☞一つの物事の背後や周囲に、様々な要因が複雑に絡んでいるため、それらを総合して認識したり判断したりしなければ、この世の中の現実に対して上手く対処できないから。

 

☞IQやEQの高い人、というのは、この「抽象的な物事」「あいまいな物事に対する認識・対処」の能力が高いから。

 

☞世の中でおこっている「現実」というのは、トレンディ―ドラマのように「単純明快」ではないから。

 

ですね。

 

たからこそ、それがわかっている高IQ、高EQ、高PQの人達は、物事に対して単純に結論を出したり、決めつけたりしないのです。必ず、物事の「二面性」「複雑性」「多様性」というものを認めることができる。ある物事の表面上だけでなく、その裏に見えていないが実は存在しているであろう伏線や、意外な理由や、隠されている事実があるかもしれないところまで、ちゃんと見ているし、考えているのですね。

 

そして現実対応力も高く、なおかつ、物事を成し遂げるにはそれなりの準備や能力を上げていく「努力が必要である」ということをわかっているし、また上手くいく場合と上手くいかない場合があるということを受け入れているので、「成功と失敗の両方」を受け入れて、どちらも学びに変えていくことができるんです。

 

しかし彼ら(自己愛性人格障害者・エナジーバンパイア・運を奪う人達)というのは、複雑な事柄に対処する能力が低く、なおかつ欲が深い。

 

だから常に

 

「手っ取り早い成功」

「手っ取り早い快楽」

「手っ取り早い見栄え」

 

などが欲しいため、

 

「手っ取り早く、運やエネルギーを持っている人から奪う」のですね。

 

更に、彼らには「多様性」を受け入れる器もないので、自分だけの狭い視野や認識で人や物事を勝手に「決めつける」。

 

それも自分に都合のよいことは増長して、自分に都合の悪いことはなかったことにするように、「認知の歪み」を駆使して「記憶の改ざん」「捏造」「隠ぺい」ということをするんですね。

 

だから能力的にも人格的にも成長しようがない。なのに「欲」だけは人一倍強い。

 

そして「本物」に対する尋常では考えられない「嫉妬」をするわけです。そして自分の存在意義を脅かすような能力や地位や才能や人間関係や容姿を持った嫉妬の相手に、執拗で陰湿で理不尽な攻撃を(あの手この手で)するわけです。

 

こう考えると、つくづく、自己愛性人格障害者・エナジーバンパイア・運を奪う人達というのは「低IQ」「低EQ」(ついでに「低PQ」)であると思い知らされます。

 

彼らは、だいたい本能だけで行動していることが多いです。彼らの根本は「恐怖心」なのですね。予想外のことには対応できないし、臨機応変さもないですね。「予想外の事柄」を想定する能力も想像力もなく、更には(物事を裏付ける)データすら集める気がない。だって、「データ」を出されたら、彼らの「捏造・隠蔽」がバレちゃいますからね(笑)。

 

更に、努力する忍耐力も信念もなく、あるのは人一倍強い自惚れ・自己愛・プライド、そして欲だけです。だから私は声高に、彼らを「爬虫類脳優勢の爬虫類」と呼んでいるんです(苦笑)。

 

爬虫類のIQというのは(低すぎて)測定不能です。

 

爬虫類は大脳辺縁系や偏桃体といった「本能」を司る部分優勢の生き物ですから、人間らしい「共感力」「思考力」「合理的判断」「感情・欲望の統制機能」を司る大脳新皮質前頭葉の出番はないのです。そしてIQ、EQ、PQというのは、まぎれもなくこの大脳新皮質前頭葉の分野なのですね。

 

勉強や努力というのは、この記事の最初の方でお話した「想像力」や「創造力」の基本となる「知識」と「知恵」を得るためのツールのようなものです。でも本人がそれをしたがらないとしたら、まさにその本質は怠慢極まりない。でも欲望は果たしたくて躍起になって人の「運」や「エネルギー」を奪いたいのであれば、それははっきり言って「愚か」としか言いようがありません(けちょんけちょんに言っていますが・苦笑)。

 

だって、そんな自業自得のツケを、嫉妬している相手-能力や人格や運の強い「本物達」-に(無償で)払わせようとするなんて、虫が良すぎるお話ですから。

 

さあ、長くなってしまって大変恐縮ですが、

 

あなたのIQ、EQ、PQ、そして「運」も「エネルギー」もどんどん上げていくために、とにかく、冒頭でもお話したように、

 

★自分を大切にする

★自分がいかに「ユニークな存在であるか」を知る

★上手くいかないことが立て続けに続いても自分を責めない

★ついでに「自分はダメ」などと思わない。

★既に「ユニーク」である自分を常に褒める

 

を徹底していってください。

 

私は、このブログで何度もお話していますが、私達には

 

「1人に一つの成功パターンがある」

 

のです。

 

みなユニークで、誰一人として同じ人はいないんです。全くもって当たり前のことなのですが、これに深く気づいている人、この本質を自覚している人って、実際にはかなり少ない。

 

★どれ一つとして同じ経験値、全く同じ能力、考え方、才能の組み合わせの人はいない。

 

★アイデアも個性も運の良さも、全て「無限の組み合わせのパターン」である。

 

★だから「比較する」なんて、「無限の組み合わせのパターン」に対して無謀すぎることである。

 

★IQのお話をしてきてはいますが、「凡人」「天才」の枠組みなど意味がない。

 

ということを、よく覚えておいていただけたらと思います。

 

例えば、あなたのことを必要以上に過小評価してくる人、やたらとあなたを「凡人」だとか、能力がない、とか言ってくる人がいたとしたら、彼らは、そうすることによって「あなたを支配したい」わけです。何のためかと言うと、支配してあなたの「運」や「能力」や「才能」や「エネルギー」を「奪う」ためですね。「彼らは持っていないのに、あなたが持っている」ので、その部分が欲しいわけですね。執拗に言ってきて、あなたを「支配」にかかろうとしている場合は、彼らの話を聞く必要はもはやないです。

 

あなたは既に凄い「ユニーク」な存在。さっきも言ったように比較する必要もない。いるだけで十分「ユニーク」。

 

あなたは、あなたの能力、才能、経験値、生育環境、全てにおいて、その無限の組み合わせのパターンを持った「ユニークな人」ですから、そこからどんどんスタートすればいい。「等身大」で行きましょう。

 

それでも、もしかしたら、あなたには、今までの生き方の中で「後悔」している部分があるかもしれませんが、それはそれでいいのです。

 

当時、あなたは既に、その時の自分なりのベストを尽くしてきたはずなんです。「その時あたなが信じていたベストな選択、ベストな決断」をしていたはず。それを否定する必要はないと思います。その時のレベルが、結果的にあなたの求めていたレベルとは違っていたとしても、その時、あなたは確かに自分のできる「ベスト」でいたはずなので。

 

さあ、今回は大変長くなってしまってごめんなさい!(笑)

 

お付き合いくださり、本当にありがとうございます!!

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*「IQ・EQと運の関係」は、テーマ別で今後も記事をアップしていく予定です。IQ・EQ・PQ全ての上げ方についてのお話もしていきます。その基礎部分のお話を「自己組織化と球体思考」の記事でしていますので、まだ読まれていない読者の方がいらっしゃいましたら、一度ザっと読んでみてください!今後の「IQ・EQと運の関係」の新着記事が、よりわかりやすくなると思います!

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